独言覚書
-ブツクサメモ-
■カンデンチ 2013年06月05日(水) |
そうさおいらはいかれた乾電池(GO!GO!カンデンチ) 潰れて錆びてどぶに捨てられて(GO!GO!カンデンチ) 今じゃ世間は見向きもしないさ(GO!GO!カンデンチ) アルカリ電池の儚い人生(GO!GO!カンデンチ) むかーし、中学生くらいの頃に、夕方にテレビ埼玉でアニメを見ていたんですがこの合間に上記の歌詞のCMが入ってて、これだけなんか覚えてたんですよね。 ずーっと謎のバンドさんだったのですが、このたび正体が判明したので備忘的に記載しておきます。 GROUND NUTS 「カンデンチ」 |
■一代宗師-グランドマスター- 2013年06月09日(日) |
先日感想を書いた「葉問」と同じ、イップ・マンを扱った映画を見てきましたよ。葉問モノ、最近大量投入ですね。ウォン・フェイホンの再来? ウォン・カーウァイ監督、トニー・レオン&チャン・ツィイー主演の「グランドマスター」。CMでの紹介では、「中国武術最強を決める」とか「頂点を目指すためにすべてを捨てた」みたいな感じでしたが、そもそも前回も描いた「葉問」という人は、ブルース・リーの師匠であり、武術家として名をはせながら、日中戦争で財産とか失って香港で過ごすことになった人だったのだが。 序章としては中国武術界の話から。 北派の八卦掌、形意拳、太極拳、八極拳などの流派統合がなされ、その宗師たる宮宝森(ゴン・バオセン)が南の流派における自分の後継者を探すため佛山を訪れる。 宮宝森は各流派から推薦を受けた葉問と一戦を交え(というより、思想の問答に近い)、彼を後継者として認め、南派の拳法を北に伝えるという使命を託す。 しかし、宮宝森の娘、若梅(ルオメイ)は父と己の流派が負けたと思いたくないがため、葉問に闘いを挑む…。 冒頭の雨のシーンと、宮宝森との戦いに向かう葉問に様々な達人たちが「極意」の手ほどきを手向けるシーンは個人的には最高傑作。1930年前後の雰囲気と相まって、妖艶さとか中国の大物感とかすごくよく表現されていて前半は「美しいカンフー・ハッスル」って感じでとても楽しめました。 中盤、日中戦争が勃発し、葉問が自由に行動ができなくなってしまってからは、鑑賞者が求める展開にはなかなかならず、何というか、宮家のいざこざが描かれているばかりで本当の主役が誰なのか分からなくなってしまう妙な方向へ。 正直、上等な毛皮をまとってドアを開けるチャン・ツィイーは、キルビルのオーレン・イシイを彷彿とさせる感じでしたし、美しい女拳法家を演じられる女優として、ミシェール・キング、マギー・チャンに並んでも許される存在になってきた彼女には、ため息しきりだったんですけれども。 結局中盤〜終盤まで、チャン・ツィイーの復讐劇に終始し、終盤の最後にホント思い出したかのように葉問に戻る感じです。 途中、八極拳の使い手、一線天(多分劉雲樵)とチャン・ツィイーがニアミスするシーンがあるんですけど、特に主演の誰とも対決するシーンはなく。 でも、気になって調べると、実在の人物である八卦掌の宮家の宮宝田は、劉雲樵に八卦掌の手ほどきをしている。どっちかっていうと、最後の方に描かれた宮宝森の演武とか見るに、彼や一線天に焦点を当てちゃったほうが、アクション映画の物語としてはまとまったんじゃないか。 最初に葉問と若梅の若干ラブロマンスにも似た心の通い合いを見せてしまったがために、それを引きずってしまったというか。いや、そもそも、そっちが描きたいなら、一線天のパートを切ってそれだけで話をまとめるべきだと思うし。 ロマンスに重点を置くために実際にいた人物モデルにして架空の人物作ったくらいだったなら、思い切って武術シーンもカットしちゃえば的な。 うーむぅ。 前半の出来が思いのほか良かっただけに、気合の入ったアクションシーンも中盤は妙に長く感じられてしまったのでした。(さすがに終盤のアクションシーンは短くテンポ重視だったけど、それはストーリーの合間に入るから) まーなんつーか、「最強決定戦」のノリで見に行くとコレジャナイ感が。演出が勝った美しいアクションに花を添えてもらった淡い恋心、憧憬、敬慕みたいのが好みの方には…うーん、これも勧めるのは難しいかなぁ。 結局、どっちつかず、なのかな。 あ、本編とは全く関係ない話ですが、この映画、国村隼さん、仲間由紀恵さん、中村勘九郎さん、平沢進師匠とかに置き換えられそうなキャスティングだったりします。 全く関係ないですが。ええ、ええ。 |
■私のイチオシ 2013年06月15日(土) |
THE YELLOW MONKEYのファンが選ぶベストアルバムのための選曲投稿が、あと5日で終了です。 取り急ぎ、私は初めて買ったアルバムからの曲を挙げておきました。 一応、3曲まで一日に投稿できるようですが、私はこの一曲で。 一曲一曲見ていけば、曲、歌詞、自身の思い出、プロモのかっこよさそれぞれ思うところのある曲がたくさんあるのだけれど。 時折こうして、ソロじゃなくて、彼らの姿が見えるたび、出会ってよかったと思い、また遠くに感じてしまうこともあり。 やっぱ今でも、大好きなんですよ。 |
■人生の終わり。 2013年06月26日(水) |
今朝方だそうですが、母方のおばぁちゃまが旅立ちました。さっき少し、THE YELLOW MONKEYの人生の終わりが回ってました。 つい先日、そろそろ…ってかーさんから連絡があって、じゃぁ金曜に顔を見に行くってお休み申請してた矢先でしたが。 母さんも言ってましたが、「まぁ、そんなもんです」。 数年、顔を見ていないのだけは悔いるところですが、これは自己満足の範囲なんだよな。 母さんは隔日で顔を見に行っていたし、そもそもこちらは同居のばーちゃまではなかったけれど。 あぁ、そうそう。10数年位前に、同居の祖母も亡くなっているのですが、この方享年86歳。 うちばーちゃんと、こっちばーちゃんは結構歳が離れてて、こっちばーちゃんの方のじいちゃんが亡くなって神経参っちゃってる時に、うちばーちゃんが叱咤激励して立ち直った経緯があり、こっちばーちゃんはうちばーちゃんが亡くなったとき、うちばーちゃんくらいまであたしもがんばらなくちゃと言っていたわけですが。 そのこっちばーちゃん、享年86歳。 送り出す斎場は、奇しくもうちばーちゃんの葬儀をやったところと同じ。部屋も一緒っぽい。 母さんとそんな話をしてて、「じゃーうちばーちゃんが迎えに来たのかなぁ」って言ったら「それが違うのよ〜」 聞いたら、その前の日に旅立った人の名前を呼びながら息を引き取ったらしく。 「おばあちゃん、おじいちゃんが迎えに来るって言ってたのにねぇ」と、母さん。 あれ?(笑) まぁ、こっちばーちゃんのじーちゃんは、迎えに来るようなタマじゃないんだけど。九州男児みたいなガンコ爺さんだったので、きっと向こうで「遅いんだ!」って言って待ってるんじゃぁないかにゃー。 |
■刀語? 2013年06月30日(日) |
今期はフジテレビ ノイタミナ枠でリニューアル放映をやっていた「刀語」を追っかけていました。プロットが私好みだったり小説が発行され始めた際に多少気になるものであったりで見始めたんですが、西尾維新作品ということで不安要素もあったり。 個人的には、アニメであんなに語りばかりはいるのは苦手で。「見る」必要がなくなってしまうので、以前にほかの作品を見たときは、その週の前半部分を見ただけでギブアップしてしまったのです 刀語は伝説の刀鍛冶、四季崎記紀(しきざき・きき)が製作した伝説の刀を探して、日本全国を漫遊しながらその刀の所有者と戦っていくというのが物語の大筋。 主人公は、刀を使わない「虚刀流(きょとうりゅう)」という剣術流派の当主、鑢(やすり)七花(しちか)(男)と、七花の父に己の父を殺されたという少女「とがめ」の二人。 小説として発行されていたときは、1年間かけて一振りの刀を1冊ずつ割いて描いていったという形でした。アニメもそれにならって12週でラストまで描く感じでしたが、ノイタミナ枠を2枠分(1時間分)使っての放映で、毎週前半はたるいけど後半必ず火がつくって感じの展開でした。 最後の最後に、まーなんというか西尾維新という人はこういうことをする人らしいと後で知ったところですが、個人的にはなんとも評価のしにくい作品というか。 途中途中の展開が非常に熱かっただけに、最後に詰め込みすぎて急展開の感は否めなかったし、敢えて伝えないことが信条だったのかもしれないけど、描かれなくて意味不明になってしまっていたり。 なにより、ああいう結末にする意味が分からない。 あの1話でいっぺんにつまらないものになってしまったと思うの。 主人公やヒロインの生死そのものをうんぬん言ってるんじゃないのよ。 描き方が足りないんじゃないの? キャラクターの生死は、特に重要なキャラクターについては、気を使ってほしいなぁと思うんですよ。 七花が今まで闘った相手に表するのと同じように、彼らに敬意を表するのなら、あんな表現にはできないと思ったんだがなぁ。 11話までは面白かっただけに、残念感が漂ったのでした。 |